悠久のとき
水草水槽・えびetcブログ 2018年3月29日
孤独。
この言葉は最近よく自分につきまといます。
嫌なこともなければ取り立てて楽しいこともない、言い換えれば平穏な生活を送れているのかもしれませんが、ふと我にかえったとき度々「孤独」に支配されます。
何処にいても何をしても自分が自分で無いような。
昼間は誰もいない原っぱで空だけ見て日が暮れるまでそうしていたい、夜はずっと布団の中で眼を閉じていたいような。
あまり人と関わっていないからかもしれません。
でも関わったとしても世間話以外に話すことも特に無く、相手の感情を知りたいとか自分の感情を伝えたいとかそういった深いコミュニケーションをしたいとも思えません。
大丈夫なんでしょうか?
人として。
自分自身を人間の屑・カスと、自尊心のかけらもない状態になっています。
生きるってなんでしょう。
いやー乗っけからくら~い感じで済みません、この辺にしておきます。
そういった私の感情とは裏腹に水草たちは懸命に今を生きています。
上の写真は3ヶ月ほど前のものでやっと状態が上がってきたところです。
そして現在、各々の水草たちが自分の持てるパフォーマンスを最大限に引き出してくれています。
イマイチ調子の上がらなかったショートヘアーグラスも低床を覆い尽くしてくれました。
初めて水草水槽をみたとき、光合成によって葉っぱから出るちいさな気泡(酸素)に心を奪われたのを今でも覚えています。
12~3年前、埼玉県深谷市宿根のR17号沿い、今は無き「ドンドン」という夫婦で経営されていた熱帯魚屋さんへ高校の帰り道にチャリンコで通っていました。
高校生の私にはレギュレーターが1万いくらと高くて買えず、店主に教えてもらった安く済むペットボトルの発酵式で二酸化炭素を添加していました。
発酵式でもしばらくするとしっかり葉から気泡が出てきて(当たり前ですが)、キューバパールなら大粒の、有茎草ならちいさいのが連続してと、様々なバリエーションの気泡の付け方を見て癒やされていました。
あのとき、ぼんやりと過ごしていた高校時代に1つの楽しみを見出し大人になり、奇しくも水草に関わる仕事で飯を食わせてもらっていることにまず感謝しなければなりません。
ありがとうございます。
前回、精一杯生きていますといいましたがどうやら気合いが入り過ぎるとすぐに空回りするようです。
何か良い方法はないでしょうか。
時刻は午前3時を過ぎました。