心にポッカリ開いた穴
水草水槽・えびetcブログ 2015年7月8日
今日も私は負けました、闘わずして。
そうやって過ごしてきた毎日です。
どうにかしなければならないと思っていたものの、フィランサスフルイタンスの子株を放っておき続けたのです。
水草ストック水槽なのですが、水面に浮いた子株のお陰でストックした水草に光が行き届かないこと、頭では理解しているのに行動に移さない私は愚か者です。
私生活でもゴタゴタがあり、私事で恐縮ですが付き合っていた彼女と別れることになりました。
破局の原因は私の方にあります。
これもまた私が愚か者であることを具現化した結果と云えるのでしょう。
人の気持ちを考えられない、本当に駄目な人間でございます。
只、今でも私は引きずっております。
兼ねてから女の尻に敷かれるような人生は真っ平御免といった考えを持って生きておりました。
気に入らなければ珈琲の1杯も呑まず、さっさと荷物をまとめて出ていってくれといったスタンスです。
今でも其の気持ちは変わりません。
しかし私はこの場をお借りして、一言彼女に云いたい。
〇〇〇、戻って来てくれ 私が悪かった。
と。
何とも情けない状況でございます。
女々しい男を嫌っていた私が其の張本人になってしまったのですから。
そのような折、故”アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ”はこんな事を云っておりました。
「二人の人間が愛し合えば、ハッピーエンドはあり得ない」
私はこの言葉の意味が良く解りました。
恋愛とは難しいものですね。
所詮は他人同士、心を通い合わせることは容易ではありません。
反対に何処かで聞いたことがある台詞、
「女(男)なんて星の数ほどいるから」等と云いますね。
しかし星の数ほどいる異性と出会えるとは夢々想えませんし、出会えたとしても互いが惹きつけられる可能性は低いと思うのです。
星のように魅力的な方には手が届きませんもの。
言葉が通じる人間同士でも、あるいは言葉が通じるからこそ行き違いがあるのかもしれません。
私はきっと彼女のことを忘れられないでしょう。
ならせめて、ハンディキャップを背負ったように、行動でしか示してくれることのない動植物たちをより大切にしていこうと再認識しました。
言葉は通じなくとも、同じ生き物ですから。